韓国全羅北道中部の市である全州市に、韓屋と呼ばれる特徴的な瓦屋根が美しい伝統家屋が約700棟密集して立ち並ぶ全州韓屋村がある。全州は百済時代には完山と呼ばれ、1250年の歴史を持った古都である。町の中にはスローシティーと書かれた看板も見られ、現在も韓屋に暮らし、歴史や伝統文化を受け継いで生活する人々の姿がある。地方都市の中にありながらも、ここではゆったりとした時の流れを感じることができる。 韓屋村は、2011年度の「一度は行きたい韓国の観光名所」の一つにも選ばれ、国内外問わず多くの人々が訪れている。
この韓屋村一帯の地域では、韓屋の町並みを望むだけではなく、慶基殿、殿洞聖堂、全州郷校などの歴史的な名所が点在している。そして、伝統芸能のパンソリ、伝統工芸の韓紙など、韓国を代表する伝統文化を継承する地としても知られている。韓屋村全体が“生きた博物館”とも呼ばれるほど、歴史、伝統文化、風習にさまざまな角度から触れることができる。全州の歴史や伝統を多くの人々に伝えるために、季節ごとに伝統行事や祭り、イベントが盛んに行われている。
全州は食文化も発達し、全州ビビンバをはじめ、全州韓定食、コンナムルグッパなどの郷土料理や全州マッコリが特に有名で、韓国の中でもおいしい食べ物が揃う“味の都”と呼ばれている。全州周辺は、豊かな自然に包まれた平野と綺麗な水によって、他では味わえない食材の宝庫となっている。歴史と伝統文化に触れるだけではなく、韓国の伝統的な食文化も楽しむことができる。
全州韓屋村の美しい町並みや史跡では、韓国映画やドラマの撮影も度々行われている。歴史時代劇から現代ドラマまで幅広いジャンルの映画やドラマが撮影され、ロケ地としての注目も集めている。海外の韓流ブームによって、ロケ地をめぐるために訪れる外国人観光客も多い。
太祖路
全州韓屋村のメインストリートともいえる太祖路は、慶基殿前の道である。慶基殿だけではなく、通りに面して韓屋村の名所や観光案内所が点在している。一直線の通り沿いには趣ある街頭が建てられ、歴史の風情が感じられる。韓屋村の名所は夜になるとライトアップされ、昼間とは違った幻想的な夜景を見ることができる。
太祖路では季節によってさまざまなイベントも行われている。
全州韓屋村の見所
慶基殿(キョンギジョン)
朝鮮王朝を建てた李成桂(太祖)の御真影を安置するため、大宗10年(1410年)に完山(全州)、鶏林(慶州)、平壌の3ヶ所に建てられた祠堂。世宗24年(1442年)に各所在地ごとに名前が付けられ、全州は慶基殿、慶州は集慶殿、平壌は栄宗殿となった。
慶基殿は、慶長の役の際に焼失してしまったが、御真影は妙香山普賢寺に移していたため保存することができた。現在の建物は、光海君6年(1614年)に再建されたものである。1991年に史跡339号に指定された。
敷地内には、御真影を安置する慶基殿正殿、全州李氏の始祖の李翰夫婦の位牌を安置した肇慶廟、朝鮮王朝実録を守ってきた全州史庫、睿宗大王胎室碑などがある。
そして、樹齢400年の銀杏の木、ケヤキ、サルスベリなど、美しい自然の木々も見所となっている。
慶基殿正殿
朝鮮王朝を建てた李成桂(太祖)の御真影を安置するために、大宗10年(1410年)に創建された。太祖の御真影が安置された建物は、もともと開城、永興、平壌、全州、慶州の五ヶ所であったが、全州を除いた全てが1592年の文禄の役(壬辰倭乱)の時に焼失してしまう。慶基殿もまた宣祖30年(1597年)の慶長の役(丁酉祭乱)の時に焼失してしまい、光海君6年(1614年)に再建された。建物の正面には回廊を備えて、最高の祠堂であることを表している。
睿宗大王胎室碑
王家では子供が生まれると、胎盤を大切に保管していた。
この保管場所を胎室と呼んだ。慶基殿にある胎室は、朝鮮王朝第8代国王である睿宗大王の胎盤が納められている。
もともと、宣祖11年に完州郡の裏山に建てられたが、
英祖10年に再び立て直された。
1920年には、日本朝鮮総督府が、白磁の壷を持ち去り破壊されたが、小学校付近に放置されていたものを1970年に今の場所に移した。
肇慶廟(チョギョンミョ)
英祖47年(1771年)に建てられた肇慶廟は、全州李氏の始祖である李翰(イ・ハン)夫婦の位牌を祀った所である。哲宗5年(1854年)に慶基殿と共に修復され、毎年陰暦9月9日の重陽節に位牌を移し、祭祀を行なっている。
全州史庫
史庫は、高麗・朝鮮時代の国家の重要文献を保存するために設置された建物である。全州史庫は、世宗21年(1439年)の時に、司憲府と呼ばれる官職の建議によって設置された。はじめは実録を何度も移動させながら保管していたが、世宗27年(1445年)にソウルの春秋館、忠州、全州、星州の史庫へ各一部ずつ奉安することになった。世宗実録からは、編纂されるごとに、鑄字によって印刷され、各史庫へ一部ずつ保管された。
宣祖25年(1592年)に文禄の役(壬辰倭乱)が起きた際に、4大史庫の中で全州史庫の実録を除く全てが消失してしまった。全州史庫にあった実録は、守直儒生の安義と孫弘祿によって、内蔵山隠峯庵に移されていたため、焼失を免れた。 宣祖30年(1597年)の慶長の役(丁酉祭乱)に実録閣は消失したが、1991年に復元された。
御井(オジョン)
一般的に王の食事を作ったり、王が飲む水を管理している井戸のことである。
ソウルに位置する宗廟の祭壇で社稷壇など、王に関係する井戸は、御井と呼ばれている。太祖の御真影を安置した慶州の集慶殿、平壌の永崇殿、全州の慶基殿の井戸も御井と呼ばれるようになった。
東齋(トンジェ)、西齋(ソジェ)
東齋、西齋は、祭事を行なうために建てられた建物として、齋閣とも呼ばれた。祭官たちが、儀式を行なう前に身を清める齋戒儀式をするための所でもある。
祭器庫(チェギコ)
在郷の時に使用される各種の祭器、器物、器具などを保管する場所である。
下馬碑
慶基殿の門の前には下馬碑がある。この碑には「至此皆下馬雜入毋得入」と書かれている。これは、“ここに至る者は、階級の高低や自分の貴賎を問わず皆馬から下りて、関係者以外は立ち入りを禁ずる”という意味である。
慶長の役(丁酉祭乱)の時に慶基殿と共に崩壊するが、光海君6年(1614年)に再建される。その後、哲宗7年(1856年)に重刻された。
御真博物館
「2010年11月の太祖御真全州奉安600周年」に合わせて、太祖御真を保管する博物館として慶基殿内に建てられた。地上1階と地下1階の1,194㎡規模の施設には、御真室、歴史室、輿室、 太祖御真奉安行列、企画展示室などがある。慶基殿と太祖御真を中心に、格調高い展示物の数々を通して、600年の歴史に触れることができる。国内唯一の御真専門博物館として、華麗なる朝鮮王室文化遺産の保存、管理に努めている。
殿洞聖堂
慶基殿の向かいに建つ美しい聖堂。1791年に韓国天主教会最初の殉教者である尹持忠と権尚然、1801年辛亥迫害での柳恒儉、尹持憲などが豊南門前の殿堂聖堂の敷地で迫害を受けて処刑された。彼らの殉教の志を称えて、1908年にフランス人神父によって聖堂の建設が進められ、1914年に完成した聖堂。当時日本の統監府によって壊された豊南門の城壁の石が使用され、殉職者たちの血が流れた場所の石も聖堂の礎として使われた。韓国のカトリック信者にとっての巡礼地ともなっている。
西洋式の近代建築で、湖南地方(全羅南北道)の西洋式近代建築物の中でも最大規模といわれ、特に長い歴史を持っている。建物の全体が赤煉瓦で造られていて、聖堂の入口にある3つの塔が特徴的である。1981年9月に史跡第288号に指定された。
美しい建築様式は、カトリック信者だけではなく多くの人々が訪れ、その素晴らしさに魅了されている。夜には聖堂がライトアップされ、昼間とは違う美しさを見せている。
梧木台
1380年に李成桂が荒山大捷で日本軍を打ち破って帰郷する途中に立ち寄って、戦勝を祝った場所である。この地は、李成桂の5代祖先である李安社(穆祖)が住んでいた所としても知られている。李安社がこの地から咸鏡道(朝鮮半島北東部)に移動していったことで、李成桂が朝鮮王国を建国する契機になったともいわれ、朝鮮王朝の発祥の地としての意味合いも持っている。後に朝鮮第26代王の高宗が、太祖が滞在したことを表す“太祖高皇帝駐畢遺址”と書いた石碑を建てた。
近くには梨木台と呼ばれる史跡もあり、李安社が住んでいたことを示す“穆祖大王旧居石碑遺”と書かれた石碑と碑閣が建っている。この石碑も高宗の直筆である。 李安社が幼い頃に、この場所で陣取りごっこをしながら遊んでいたという逸話も残されている。 梧木台は小高い山の上に位置し、散策道の途中からは全州韓屋村のすばらしい町並みを見下ろすことができる。瓦屋根の韓屋が立ち並ぶ村を様子がよく分かり、絶景スポットとなっている。
♦梧木台周辺の高台から望む韓屋村
豊南門
豊南門は、全州府城の4大門の中で南の門にあたる。英祖10年(1734年 )に城の修復工事の詳細を記録した趙顕命の“明見樓記”によれば、当時の門は朝鮮初期に観察使の崔有慶が築城したという記録が残っている。英祖43年(1767年 )3月に城内を襲った丁亥年大火災によって門を消失してしまう。しかし、英祖44年(1768年 )に観察使の洪楽仁によって再建される。この時に、従来の3層の門樓から、現在の姿と同じ2層の門樓に縮小され、豊南門と名付けられた。
1905年に朝鮮統監府によって東、西、北門が撤去されることとなり、南の豊南門だけが残された。1978年に豊南門から12m離れたところで甕城(おうじょう)の遺跡が発掘さたことにより、 甕城を縮小して復元することとなった。そして、1980年の修復工事の際に、門の両側にあった砲樓、鐘閣、豊南門の外側の出城である甕城が復元され、現在の姿に至っている。
ソウルにある国宝第1号にも指定されている南大門(崇礼門)と同じ建築様式が見られ、門の前方にある半月形にめぐらされた甕城が特徴的である。門樓の柱の配置は、韓国門樓建築の中でもほとんど見られない様式であるといわれ、貴重な資料ともなっている。1963年1月に宝物第308号に指定された。全州の人々にとって、全州を代表する象徴物の一つである。
全州郷校
全州郷校は、高麗時代に創建されたと伝わっているが正確な記録は残されていない。現在の建物は朝鮮第14代国王宣祖の時に建てられたものであるといわれている。
朝鮮時代の地方国立大学と同じような教育機関であり、儒学を教える官立学校であった。
全州郷校は、大成殿を中心に明倫堂、啓聖祠、蔵板閣 東廡、西廡など、16棟の建物で構成されている。大成殿には、儒学の祖である孔子をはじめとして、孟子、曾子、顔子、子思の中国の五聖人の位牌が祀られている。啓聖祠には、全国の郷校の中でも唯一、孔子、孟子、會子、顔子の父親の位牌が安置されている。蔵板閣には、『朱子大全』『性理大全』『史記評林』などの9,600点余りの木版が所蔵されている。
もともと全州郷校は、慶基殿の近くに位置していたが、李成桂(太祖)の御真影を安置した慶基殿近くにあると、儒学生たちの本を読む声で太祖が安らかに眠ることができないとして、場所を全州西の華山という所に移した。しかし、府中から遠く離れていたため通学に不便であったことや、文禄・慶長の役の際に焼失し、宣祖36年(1603年 )に観察使の張晩によって再び現在の場所に移された。現在残されている建物は、この際に建てられたものであると推定されている。
1992年に史跡第379号に指定された。全州郷校では祭祀や行事が行なわれたり、現在もさまざまな教育の場として使用されている。
成均館で繰り広げられる若者たちの青春ストーリーを描いた人気ドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』のロケ地としても話題となり、多くのドラマファンも訪れている。
大成殿
大成殿は、宣祖の時に建てられられたといわれている。孝宗4年(1653年)に府尹の沈澤と判官の韓震琦によって再建され、純宗隆煕元年(1907年)には当時の郡守であった李重翼によって修理が行なわれて現在に至っている。ソウルにある成均館と同じように孔子を含む五聖(孔子、 孟子、曾子、顔子、子思)、十哲(孔子の弟子の中で最も優れた十人)、宗朝六賢(朝鮮時代に文廟に仕えて祭祀を行なった中国宗の国の六名賢)の位牌が祀られている。甲午改革以降は教育的な機能はなくなり、春と秋に祭祀が行なわれている。1971年に全羅北道有形文化財第7号に指定された。
明倫堂
大成殿の後方に建つ明倫堂は、光武8年(1904年)に郡守の權直相によって修復された。学生たちが教育を受けた講堂である。現在も教育施設として使用されている。
東廡・西廡
大成殿の両側に建つ東廡、西廡には、孔子の弟子をはじめとする中国の儒学者七人と韓国の立派な儒学者とされる十八賢の二十五人の位牌が祀られている。
東斎・西斎
明倫堂の両側に建つ東斎・西斎は、学生たちの寄宿舎として使われたところである。
啓聖祠
孔子、孟子、曾子、顔子の父親の位牌を安置している。
英祖17年(1714年)に判官の宗達輔が創建した。
銀杏の木
郷校内には大きな銀杏の木があり、特に樹齢400年以上の銀杏の木が2本あり、保護樹にも指定されている。鮮やかな黄色に染まる紅葉の時期には、各地から多くの人々が見物に訪れ、名所の一つにもなっている。銀杏の木は、虫を寄せ付けないことから、儒生が“健全に育ち良き人になるように”という意味が込められている。
現在でも郷校内の銀杏の実をとって祭祀が行なわれている。また、日月門の前にある樹齢250年の銀杏を実とって祈ると、科挙に合格すると伝わっていた。
全州八景の一つでもある寒碧堂は、太宗4年(1404年)に朝鮮開国の功臣であった崔湛(チェ・ダム)の別荘として建てられた楼閣。懀岩山の断崖を削って建てられ、楼閣からは目の前に広がる全州川の美しい景色が望める。昔から多くの詩人たちが訪れた場所としても知られ、著名な19人の詩文が残されている。
崔湛石碑である月塘先生遺嘘碑には、“月塘樓”と記録されているが、その後“寒碧堂”と名称が変わった。“寒碧”の意味は、川を流れる水が崖にぶつかり、玉のような水しぶきが上がる光景を“碧玉寒流”表現したことから、“寒碧”という名が付けられたと伝わっている。全州八景の中では、“寒碧晴烟”と表現されている。
全州伝統酒博物館
全州伝統酒博物館は、自家製酒と韓国の伝統酒の歴史を伝える博物館である。韓国では昔から各家ごとに酒を造る“自家製酒文化”があり、この自家製の酒は“家醸酒(カヤンジュ)”と呼ばれている。この酒で祭祀を行なったり、客をもてなしていたため、自家製酒は各家庭には欠かせないものであった。穀物を主な原料として、科学的な添加物を一切加えずに発酵させて造る酒は、果物の香りにも似た香りと独特の味を持っている。
博物館の施設は、趣のある伝統家屋の内部が展示施設となっており、酒造りの際に使われるさまざまな道具、珍しい酒器などが展示されている。施設の一角にある熟成室では、酒の入った甕が並び、酒の強い香りが漂っている。建物の中庭には、曲がりくねった水路に杯を浮かべて、杯が自分の前に来た時に詩が詠まれたという“曲水渠”が再現されている。韓国の酒文化をさまざまな展示物から知ることができる。
そして展示物を見学するだけではなく、韓国固有の酒造りや酒の飲み方などを学ぶ体験プログラムもあり、外国人観光客も参加している。
展示施設の隣には、各地の伝統酒を取り揃えた販売所があり、お土産として購入することができる。さまざまなデザインの陶器でできた酒のボトルなども見所である。
全州伝統韓紙院
全州韓紙は、原料となる質のよい楮(コウゾ)ときれいな水によって作られ、その歴史は千年にも及ぶといわれている。高麗、朝鮮時代には王室の献上品でもあった。世界的にも高く評価され、チュニジア国立図書館の古文書復元などにも使用されている。
全州伝統韓紙院は、先人の職人技と精神を受け継いで、一枚一枚丁寧に韓紙が製造されている。ここでは、韓紙漉き、模様入れ、乾燥などの製造過程を見学したり、韓紙や韓紙で作成された工芸品などを見学することができる。ここで作られた100%韓国産の韓紙は、日本にも多く輸出されている。
全州工芸品展示館
全州工芸品展示館は、全州の伝統工芸作品や伝統工芸に関するさまざまな資料が展示されている。施設は、工芸展示館、体験館、ショッピングセンターに分かれている。展示施設は、各分野別に展示が行なわれており、伝統工芸品の素材、製作過程の紹介、工芸家たちによる作品などが展示されている。体験館では、工芸品作りのさまざまな体験プログラムがあり、小さな子供たちも参加している。施設内の中庭では、韓国の伝統遊なども体験できる。販売施設では、全州韓紙で作られた上質な扇子などの工芸品が並び、全州土産を購入することができる。
全州ビビンバ
ご飯の上に載ったナムル、玉子、肉、コチュジャンなどのさまざまな食材を、ご飯と一緒にかき混ぜて食べるビビンバは、代表的な韓国料理として知られている。陰陽五行説にも基づき、彩りもよく、さまざまな食材から豊富な栄養素を得ることができる。特に韓国でも全州ビビンバは有名で、平壌の冷麺、開城の湯飯(クッパ)、全州のビビンバは朝鮮半島三大料理に数えられている。
全州ビビンバは、朝鮮時代には特別な行事の際に食べられたという記録が残されているほど古い歴史を持っている。ビビンバに用いられる材料は約30種類にも及ぶといわれ、この土地ならではの食材が使われている。ビビンバの上に載った特徴的なファンポムッ(黄泡ムッ)と呼ばれる黄色い寒天状の食べ物は、緑豆の粉を原料にもので、クチナシで色付けされている。
韓屋村周辺には、全州ビビンバの老舗店が点在し、全州に訪れる多くの人々が本場の味を求めて訪ねている。
全州韓屋村(チョンジュハノッマウル)(韓国語 전주한옥마을) | |
住所 | (日本語)全羅北洞 全州市 完山区 豊南洞一円 (韓国語)전라북도 전주시 완산구 풍남동일대 |
電話番号 | 慶基殿前観光案内所 063-281-2891(09:00~18:00) |
ホームページ | http://tour-jpn.jeonju.go.kr/index.sko(日本語) |