みなさんこんにちは
10月も中旬となり、日に日に気温が下がり、肌寒くなってきました。
ニュースなどでは全国各地の紅葉の情報なども流れています。
ソウルの街中でも、紅葉が見られるようになってきました。
今回は、徳寿宮(덕수궁/トクスグン)をご紹介します。
ソウル市庁の近くに位置しています。
徳寿宮は、朝鮮王朝第9代国王の成宗の兄である月山大君の邸宅として造られました。
文禄の役では、焼失した宮殿の代わりに、1953年には朝鮮王朝第14代国王の宣祖の臨時宮殿として使われるようになりました。
朝鮮王朝第15代国王の光海君の時には、昌徳宮が再建され住居を移すことになり、離宮として残されることになりました。当時は“慶運宮(경운궁/キョンウングン)”と呼ばれ、現在の3倍近くの広さがあったといわれています。
その後は、朝鮮王朝第26代国王の高宗が生活した住居ともなりました。
日本強占期には、多くの建物が撤去されるとともに土地が売却され、数多くの苦難の歴史を乗り越えてきた舞台となっています。
ソウルには古宮が点在していますが、その中でも徳寿宮は韓国の伝統建築様式だけではなく、西洋の建築様式も見られます。
東洋と西洋の文化が感じられる古宮となっています。
徳寿宮では、一つ一つの建物を回りながら見学している人々はもちろん、ベンチに座ってゆっくりと景色を眺めている人々の姿も多いです。
現在では、高層ビルに囲まれた都会のオアシスと呼ばれる徳寿宮らしい光景があります。
中和殿は正殿として、王の即位式、外国使臣の接見など、国の重要な儀式が行われたところです。
再建を繰り返し、現在の姿となりました。
内部には王の玉座が整えられ、天蓋には龍の装飾が見られます。
龍は皇帝を象徴するものといわれています。
中和殿の周囲には、正殿としても使われた即阼堂、徳寿宮に残っている唯一の2階建て木造建築物である昔御堂、王の寝殿ともなった咸寧殿や徳弘殿などの建物があります。
韓国の伝統的な建築様式やオンドル施設なども見ることができます。
徳寿宮内では、季節ごとにさまざまな催しも開催され、音楽会や現代アートの展示なども行われています。
荘厳に構えた石造殿は、高宗の寝殿兼便殿として建てられた西洋式石造建築物です。
大韓帝国の近代化政策の一環として建てられたといわれています。
日本強占期には日本絵画美術館として使用されたりもしました。
現在は、西館は徳寿宮美術館となっており、さまざまな企画展示が行われています。
東館は宮中博物館として使用されるようになりましたが、現在は復元工事が行われています。
石造殿前に広がる庭園の周辺では、イスや階段に座ってゆっくり過ごす人々の姿があります。
徳寿宮の後苑には、静観軒があります。
伝統的な趣きと西洋建築を取り入れた静観軒は、“静かに宮殿を見下ろす”という意味があります。
ロシアの建築家が設計したもので、ベランダや柱の装飾がとっても美しい建物です。
石造殿の横に位置する光明門の下には、興天寺の梵鐘や自撃漏(チャギョンル)と呼ばれる水時計が展示されています。
自撃漏は、朝鮮王朝第4代国王の世宗の時代に発明されました。
この徳寿宮に展示されている自撃漏は、朝鮮王朝第11代国王の中宗が、世宗の時代に作られた自撃漏を改良したものといわれ、国宝第229号に指定されています。
光明門はもともと咸寧殿の南側に位置していましたが、1938年の石造殿の建設によって現在の場所に移されました。
現在は徳寿宮の入口となっている大漢門です。
大漢門の前では、決まった時間によって、守門将交代儀式の再現が行われています。
守門将たちの役割や、色とりどりの伝統衣装も見られます。
儀式の最後には記念写真の撮影タイムもあり、観光客に人気があります。
今の時期には古宮の庭園の木々にも紅葉が見られ、より美しいです。
韓国旅行へお越しの際は、ソウルに点在する古宮をお訪ねください。