朝鮮王朝第6代国王・端宗が生活した清冷浦

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みなさんこんにちは

先週末のソウルは久しぶりにまとまった雪が降りました。
気温差の激しい気候が続いています。
一部ではまだ雪が残っていますが、街中はすでに解けてきています。

今回は清冷浦(청령포/チョンリョンポ)をご紹介します。
江原道(강원도/カンウォンド)寧越郡(영월군/ヨンウォルグン)に位置し、
先日ご紹介した朝鮮王朝第6代国王である端宗(단종/タンジョン)の陵墓・荘陵(장릉/チャンルン)からも近いです。

清冷浦は、端宗が王位を奪われ追放された後に暮らした流刑地です。
この地の東、西、北側は深い川に囲まれ、南側は絶壁となっています。
そのため陸の孤島ともいわれています。

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高台から見る景色は、大自然が創りだした絶景の美しさがありますが、若き王の悲劇の歴史が刻まれています。

端宗は追放されてから、この地で2ヶ月間流刑生活を送ったといわれています。

現在は対岸から渡し船に乗って行くことができます。
全国各地から多くの観光客が訪れています。

入口には日本語も書かれた看板や散策ルートなどがありました。
船を降りて松林を進むと、塀に囲まれた「端宗御所」があります。

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当時、端宗が暮らした家は消失してしまいましたが、2000年に瓦屋根の家と藁葺き屋根の家が復元されました。
歴史を知る貴重な資料ともなっています。

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建物の中には当時の様子を紹介するために、御所内で暮らしていた端宗や臣下たちが、人形で展示されています。

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こちらは端宗を謁見するソンビ(学者)です。

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こちらは端宗の世話をする人々が生活した場所です。

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伝統的な家具や寝具が見られます。

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台所も再現されています。

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建物は全体的に質素な造りです。
王宮施設の華やかさはありません。
見学に訪れた人々からは、17歳という若さで生涯を終えた端宗が、どのような思いで流刑生活を送っていたのだろうかという声が聞こえてきます。

御所の建物前には、朝鮮王朝第21代国王である英祖が自筆で「端廟在本府時遺跡」と記した石碑もあります。

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この石碑が当時の御所の位置を示しています。

御所周辺の松林には散策道が整備されています。

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松林の一角には、樹齢600年の観音松があります。
高さは約30mにも及びます。
松は途中から二股に分かれ、端宗がその間に座って休んだといわれています。
観音松という名前は、当時の端宗の悲劇を見たり聞いたりしていたということから、「観」と「音」を使って観音松と名付けられたといわれています。

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川沿いに沿って、眺めが美しい展望施設もあります。
散策道の途中にある「望郷塔」は、都に残した端宗の妃、定順王后を思いながら積み上げたといわれています。
追放された後、二人は永遠に会うことはできませんでした。

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英祖は、端宗の流刑地を保護するために、一般の人々の出入りを禁止する「禁標碑」と呼ばれる石碑も立てました。

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この地で流刑生活を送っていた端宗ですが、夏には川の水が氾濫し、一帯が浸水してしまいます。
その後は、寧越府の官庁施設であった観風軒に移動し、そこで生涯を終えました。

清冷浦は荘陵と合わせて訪れる人々が多いです。
大自然に抱かれた清冷浦では、朝鮮時代の歴史により深く触れることができます。

韓国旅行へお越しの際は、地方の観光もお楽しみください。