清渓川の歴史・清渓川文化館

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みなさんこんにちは

朝晩は肌寒さを感じますが、日中には10度近くまで気温が上がり、だいぶ暖かいです。
人々の服装も春らしくなってきました。

今回は清渓川文化館をご紹介します。
ソウル市庁や光化門広場に近い清渓川の出発点付近ではなく、下流付近に位置しています。
文化館は、清渓川の過去や現在、そして未来に関するさまざまな資料を展示しています。
清渓川の復元工事を記念して2005年に開館しました。

清渓川は、今では季節ごとにさまざまなお祭りやイベントが行われたり、
都会の中心でも自然が感じられるソウル市民の憩いの場となっていますが、時代と共にさまざまな姿に変化してきたことが分かります。
歴史を知ることで、清渓川の散策もより違った角度から楽しめると思います。

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文化館には、常設展示館やさまざまなテーマに基づいて展示が行われる企画展示館、公演ホールなどの施設が整っています。
常設展示館の入口は、外のエスカレーターから4階まで上がったところにあります。
施設の内部は、回廊式に展示が行われ、スロープを下りながら観覧することができます。
インフォメーションには日本語のパンフレットも置いてあります。

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清渓川は、朝鮮王朝の都を定める以前から流れていた川といわれています。
清渓川周辺に多くの人々が生活するようになり、生活排水を流す下水道ともなったため、しだいに水質は汚染されていきました。
朝鮮戦争の際には、避難民が川岸に木造の仮小屋を建て、バラック村が形成されます。
文化館には仮小屋の模型とそこで生活する人々の様子が紹介されています。
1950年代から1960年代にかけて韓国の急速な経済成長に伴い、
川の汚染によって衛生上の問題が深刻化し、清渓川をコンクリートの蓋で覆うという事業が行われました。
蓋がされた清渓川の広橋(クァンギョ)付近も再現され、薄暗い地下の様子を体感することができます。
さらに蓋がされた清渓川の上には、ソウルの発展の象徴ともいえる高架道路も建設されました。
2003年から2005年にかけては、高架道路の老朽化問題によって撤去と復元工事が行われ、現在の清渓川の姿となりました。

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復元された後の清渓川の姿も、いろいろな角度から紹介されています。
展示ホール一面の床を覆う都心部の衛星写真では、発展したソウルの街並みがよく分かります。
清渓川周辺の整備計画などが紹介され、未来の清渓川の姿に触れることもできます。
清渓川の自然が少しずつよみがえり、季節ごとの美しい自然の姿や水辺の生き物たちの姿もあります。

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清渓川の歴史に関するさまざまな資料も展示されています。
朝鮮時代から現在まで、各時代別の清渓川が模型によって分かりやすく説明されています。
朝鮮時代から川の整備や復元事業に関する議論が繰り広げられていたことが分かります。
戦後の物資不足によって、軍隊から出た軍用物資を染色して庶民の日常着として利用していた時代もあり、
清渓川周辺にあった染色工場から流れ出た排水が、清渓川の川の水も染めたといわれています。
現在も台風や大雨によって川の水が増水すると、清渓川への立ち入りが禁止されることもあります、
朝鮮時代の水位を測定する水標なども展示されていました。

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この時の企画展示は、往十里(ワンシムニ)の地域にスポットをあてた展示が行われていました。
大衆食堂や螺鈿細工の工場など、日常的な生活に密着した写真や映像などが紹介されています。

清渓川文化館では、各時代背景によって大きく変化していった清渓川の姿や、その周りで生活する人々の様子を知ることができます。
展示物は映像や模型で紹介されていたり、実際に体験しながら清渓川の歴史を学ぶことができます。

韓国旅行へお越しの際は、ソウルの中心部を流れる清渓川にも行ってみてください。