板門店・DMZ非武装地帯

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大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とを分割するのは、国境線ではなく「境界線」である。朝鮮戦争の休戦ラインであり、1953年7月27日の休戦協定により発効された。半世紀を越えて南北は休戦の状態にある。軍事境界線の周囲には南北に幅2kmずつ(計4km)の非武装中立地帯を設定していて、これをDMZ( Demilitarized Zone)という。この地域では軍備の配置を禁止し、一般人は入ることが出来ない。韓国においては、北緯38度腺付近にあることから38度線と呼ぶことが多い。
限られた地域以外には地雷が埋まっており、人を寄せ付けない地域ということもあり自然がそのまま残され、渡り鳥や野鳥の楽園となっている。
板門店は指定されたツアー以外は見学出来ないが、DMZ周辺で一般観光客が見学出来る所がある。ほとんどの観光客は旅行会社のツアーに申し込んで参加している。一般的なツアーではDMZの主要な箇所を回っている。休戦状態にある南北の緊張感を肌で感じることが出来る。

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板門店
板門店は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の間に位置する停戦のための軍事境界線上にある村の名前。ソウルの西北62㎞、北緯の平壌から南に215㎞離れた位置にある。軍事停戦委員会の本会議場が所在する地域。板門店はその地域の名前で、公式名称は共同警備区域(JSA, Joint Security Area)。板門店は休戦協定締結後に国連と北韓側の共同警備区域として定められた直径800mの狭いエリアで、非武装地帯内では唯一の南北の対話場所であり、南北韓双方の行政管轄圏外にある特殊な地域。JSAは国連側と北韓側が各々6つの警備所を運営し、35人の警備兵を常に配置している。以前はJSAの中で両方の警備兵は往来することができたが、1976年8月18日に北韓軍の兵士がアメリカ軍将校を斧で殺傷する「ポプラ事件」が起きたことで、 両軍の相手方のエリアへの侵入は禁止となった。

自由の家
現在ある自由の家は1998年7月に板門店共同警備区域の南側エリアに建てられた。 自由の家は中央に透明な屋根のある4階建ての建物で、南北連絡事務所、南北赤十字連絡事務所が設置され、南北の連絡業務を行う建物として使われており、各種の南北会談、接触、交流などの際にこれを支援する施設として活用される。

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帰らざる橋
西側に沙川江が流れ、そこに架かる橋は朝鮮戦争後に捕虜交換が行われた。北朝鮮から逃れた自由主義者、北朝鮮の捕虜となった韓国軍兵士が渡り、その橋を渡ると二度と戻ることが出来ないことからこの名が付いた。

第3トンネル
北朝鮮が南侵の時、軍事通路として使うため休戦線の非武装地帯の地下に極秘で掘ったトンネル。
今まで4つのトンネルが発見されたが、その中で1978年10月17日板門店から南方4kmの地点で発見された第3トンネルが一番規模が大きい。
規模的には第2トンネルとほぼ同じだが、ソウルからわずか52kmほど離れていて、ソウルまで侵入するのに第1・2トンネルよりもっと脅威的だという点で発見当時世の中を驚かさせた。
トンネル発見当初は北朝鮮側が韓国側が掘ったものだと主張していたが、トンネルの内部の爆破でそれが南に向いているという痕跡が見られ、北朝鮮側の虚偽が明らかになった経緯がある。
それもそのはずなのがソウルからわずか1時間の距離で、1時間内で3万名の軍人が移動できるからだ。
2002年、ミニ列車型エスカレーターを設置して第3トンネルの見学がより便利になったが、収容人員に限界があるという短所を持っている。
一般的な観光地とは違って特殊な地域だけあって、見学の希望者は必ず身分証明書(外国人の場合はパスポート)を持参しなければならない。さらに、飲酒・薬物服用者はトンネルへの出入りが禁止されていて、トンネル内では写真撮影も不可。

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第3トンネル乗り場
第3トンネルは地下73mの所にあ。トロッコに乗ってトンネル内に入ることも出来る。トンネル内は撮影禁止で荷物は入口で預ける。トンネル内は歩くことが出来るが、北朝鮮との境界線地点で塞がれている。日本語の案内表示も出ている。

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DMZ映像館
トロッコ乗り場の横に位置するDMZ映像館では、DMZ、第3トンネルに関する資料を模型、映像を使って説明している、また手付かずの自然が残っている周辺地域の資料も展示されている。

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平和モニュメント
第3トンネル、トロッコ乗り場前には南北統一の平和モニュメントがある。分かれた南北を再び、くっつけようとしている姿である。

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都羅山駅
ソウルから55.8km、開城(ケソン)から14.2km、平壌(ピョンヤン)から256km位離れている「都羅山駅」は統一の念願をもっているところで、6・15南北頂上会談以来、2009年9月に京義線(キョンウィセン)の復元工事を開始し、2004年4月11日に完工して一般に観光コースとして開放された。
都羅山(ドラサン)は新羅の敗亡後、高麗に降伏した敬順王がこの山の背の登って、新羅の都を慕いながら涙を流したことから「都羅」と名付けられた。
2002年2月20日、金大中(キム・デジュン)大統領とブッシュ大統領の頂上会談後、訪問してから世界の関心が集まった。

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都羅山展望台
軍事境界線の最北端に位置していて、松岳山の観測所が閉鎖された後、1986年費用約3億ウォンをかけて国防部が設置して統一安保観光地こと都羅山展望台が一般に公開されたのは1987年1月から。 数台の望遠鏡が設置され、北朝鮮の開城工団と開城市の外れまで鮮明に見渡すことが出来る。展望台すぐ側には第3トンネルが位置しているため。緊張感で包まれているとも言える。
観覧室で注意事項などの教育を受けてから、軍人の統制下で望遠鏡を見ることができ、写真撮影が厳しく統制されている。望遠鏡の料金は500ウォン(一回利用時間は2分)
ここは民間人統制区域で、個人の車では出入りが制限されているため、臨津閣もしくは都羅山駅でシャトルバスを利用して観覧するようになっている。

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臨津閣
ソウルの北西50km地点に位置し、軍事境界線から南へ7km離れている自由路に沿って約40分間北に移動すると臨津閣(臨津閣国民観光地)に着く。1972年、北朝鮮の失郷民のために建てられた建物で、地上3階、地下1階になっている。臨津閣では毎年1月のはじめに失郷民の痛みを癒し、統一を祈願する「失郷民記念祭」が開かれる。また、臨津閣の野外展示館には韓国戦争の際に使用された飛行機、戦車などが展示されており、展望台からは自由の橋や北韓地域が見られる。 特に、臨津閣は西部戦線の民間人統制線の端に位置し、鉄道の京義線が通過していることから、分断の感慨がひときわ強く感じられる。

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臨津閣展望台
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自由の鐘閣
2000年、人類平和と民族統一を願って作られた「平和の鐘(高さ3.4m、直径2.2m)」は、21Cを象徴する意味で21トン、21階段、21坪の敷地に建造され、2000年1月1日0時に21番打鐘された。

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望拝壇
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自由の橋
臨津閣裏手にある自由の橋は、1998年に統一大橋が開通する前までは臨津江を渡る唯一の橋だった。 1953年に休戦協定が結ばれた後に、戦争捕虜13,000余人がこの橋を通って帰還する際に「自由万歳」と叫んだということから『自由の橋』と呼ばれている。長さ83m、高さ8m、幅4.5m~7m。

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京義線<em>長湍駅の</em>蒸気機関車
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鉄道中断点
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望郷の碑
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第3トンネル (韓国語 제3터널)
住所 (日本語)京畿道  坡州市 郡内面 一帯
 (韓国語)경기도 파주시 군내면 일대
電話番号 <臨津閣観光案内所>031-954-0303(日本語可)
運営時間 09:00~15:00
 月曜日・韓国の祝日(トンネル整備のため)
入場料 19歳以上:11,700ウォン 18歳以下:9,000ウォン
 (徒歩で観光する場合)19歳以上:8,700ウォン 18歳以下:6,700ウォン

 

臨津閣
住所 (日本語) 京畿道 坡州市 汶山邑 馬井里1325-1
 (韓国語) 경기도 파주시 문산읍 마정리1325-1
電話番号 <臨津閣観光案内所>031-954-0303(日本語可)
運営時間 09:00~18:00(冬期 17:00まで)
 年中無休
入場料 無料